昔々

ごめんなちゃい。
あやしいと思われたとこは
微妙なとこで。
わかりづらい感じでして。
対応が取れたんでよしとします。


えー、今回もネタがないので、
mixiでお蔵入りになってました過去の日記を引っ張ってきました。
ちゃんと設定を変えれば表示されるみたいだけど、
消えてしもうたらやだなぁとか思ってたので。
まあ何より、どっかの坊主が
「このときの日記のクオリティでブログを更新しろ!」
とかなんとかごちゃごちゃうるさいので確認のため。


以下の日記は2年前のこれくらいの時期に書いたものだと思います。
確か6時間くらいかけて書いたような。
見たことあるなぁとお気づきになった方は
とーっても長いので、ご退席ください。






『THE 有頂天白木屋


はじめて日記をつけます。
いや日記はいつもつけているのですが、マイミクのみなさんにはとてもお見せすることのできない、お粗末なものとなっていまして。mixiの日記にはじめましてすることになったのも、私にあるドラマが起こったからなのです。多少ハードル高めで、結構長いですが聞いてください。

2月21日。この日は今年の初めあたりから温めております、就活イベントの打ち合わせでした。社会人の方おひとりと、私とはちがう大分県内の大学の方おふたり、私を含めまして計4名で、当日の会場を下見。そのあと夕食にはいい時間だったので、打ち合わせを兼ねて食事ができる店を探すことになりました。
ホテルを出るやいなや、白木屋の看板が私の目の前に飛び込んできました。
白木屋なんてどうです?」
ついさっき後期試験におさらばを告げた私は、思わず口走ってしまいました。
「このアル中が!こっちには明日ってもんがあるんだよ!!」
なーんて怒られるかと思いましたが、みなさん優しい方ばかりで、アル中の意見を採用してくださいました。
打ち合わせをしながら、いろんなお話をさせていただきました。テスト勉強で寝不足でしたが、がんばった分お酒も料理もおいしい。途中社会人の方はお帰りになりましたが、そのあとも終電ギリギリまで、大学の垣根を越えて楽しく飲みました。
駅の改札口で他大学のおふたりに別れを告げたあと、いつものホームの最終に乗って。まもなく電車は我が家へと動き出しました。
ごきげんです。まさに有頂天でした・・・
「お客さん!!」
天国に逝って約1時間後、私をお迎えに来てくれた人が。どこかの駅長さん(?)酔っ払い&寝ぼけている私と意味不明な会話を交わしたあと、結局駅から追い出される運びとなりました。「ここはどこ?あ、宇佐?」
そうです。ここは三重。三重行の最終に乗ったのに宇佐につくはずがありません。しかし暗いし、まだ大分市内にしか土地勘がなく、加えて意識が朦朧としている私には、初詣のときに通った宇佐駅に見えて仕方ありませんでした。とにかく車を持っていて、迎えに来てくれそうな方に手当たり次第連絡をとることにしました。が、こういうときに限ってです。私が電車を降り損ねたのをご存知だったのかと疑うほど、誰も電話にでんわ・・・。しかし、そんなときでも頼りになるアッシー様発見!我らがタクシー☆
大分市までおいくらですか?」
「え?大分市?7000円ぐらいやなー。」
最近バイト代も出たので財布は多少あったかかったのですが、高い。高すぎる。おっちゃんにはそうですかと一言告げ、駅のベンチへと戻りました。
その後私からの着暦を見たある友人から電話をもらったのですが、次の日にテストがあるということで、私も鬼になりきれず、ただネタを提供しただけに終わりました。駅の待合室もしっかりとカギがかかっていて、私に残された場所はこのベンチのみ。ここで始発まで待つしかないか。途方に暮れていた私にさっきのタクシーが近づいてきました。
「迎え見つかったかー?」
(首を振る私)
「しゃーないのぉ!おっちゃんがのせていっちゃろ!」
一瞬このまま我が家まで行って、はい7000円!なのかと思いましたが、なんでもおっちゃんがご自身の車で送ってくださるということでした。(このときやっと宇佐ではなく、三重であることを知る。)最近、治安が悪い日本を思い、ちょっぴり不安がる私とおっちゃんを乗せたタクシーは、ひとまずタクシーの停留所へ。ここでおっちゃんの車に乗り換えてという予定でしたが、一件仕事が入ったということで私の免許証をおっちゃんに預けて、おっちゃんは仕事へ、私はおっちゃんの車で待つことに。
「乗り逃げされたらわりーけんな!」
なんて笑いながら言い放ったおっちゃんは、颯爽と仕事を片づけ、だいたい30分ほどして帰ってきました。
「いやー、もう一件あったんやけど、あんたをあんまり待たせるのもいかんと思ってなー。断ってきたんよー。」
この時、この方は本当にいい人なんだと確信することができました。車は大分方面へ走り出します。これこれしかじかと私がここにいることを説明すると、
「そっかー。みんないろいろと事情があるんやろうなー。本当に信頼している友達でも、お酒飲んでしもうたとか。家庭をもつとなおさらや。」
送ってくださるだけでなく、私へのフォローも欠かさない優しいおっちゃん。おっちゃんが言うには、必死で連絡をとっているがなかなかうまいこといかない私を見て、悪い人の顔もしてないし、これも出会いや、人肌脱いでやるか。ということになったようでした。この日ほど、この顔に産み育ててくれた両親に感謝することはありませんでした。そのあともおっちゃんにはたくさんお話をしていただいて、三重から我が家までの距離はとても短く感じました。
そして、いよいよお別れのときです。おっちゃんのご好意だと分かっていたのですが、とりあえず私はおいくらですかと尋ねました。すると案の定、そんなつもりじゃないときっぱり断られました。
「今日のことは出会いや。あんたが忘れるかどうかはあんたが決めい。でもなあんた、これだけは覚えとき。」
とおっしゃると、おっちゃんは続けられました。
「何年後かにあんたが社会に出て、初めて給料をもらったとする。そんときにあんたはなんか買いたいもんがあるかもしれん。でも、その給料のうちの1万でもいい。お父さん、お母さんになんか形に残るものでプレゼントをしんしゃい。そうしたら、あんたとかを育ててきた苦労なんかが、すぅーって抜けて楽になるけん。絶対それはしんしゃいよ。いいね?」
私は必ずします、と固い約束を交わし車を降りました。おっちゃんの車は私を振り返ることなく、また三重に向かって走り出しました。深々と頭を下げる私を残して。

今回の出会いで私は、
『両親への感謝の気持ちは忘れることなかれ』
『渡る世間は決して鬼ばかりではない』
ということを勉強させていただきました。名刺をいただき、連絡先も教えていただいたので、今からおっちゃんに手紙を書こうと思います。あ、その前に両親にこのことを報告しよう。たぶん怒られると思いますが。
決してスケジュール帳の小さな四角には収まらない、出来事でした。
呼んでくださった方、長々とお疲れ様でした。